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「小谷野栄一」という男

投稿日:2019年9月24日カテゴリー:人物

パニック障害という辛い病魔と闘いながらも
16年間のプロ野球人生を全うした男がいました。

 

 

 

それは小谷野栄一という男です。
「小谷野栄一」の画像検索結果©東北楽天ゴールデンイーグルス

 

 

 

彼は小学生時代から野球を始め、
中学生時には松坂大輔とも同じチームに所属し、
全国大会で準優勝という好成績を収めました。

 

 

 

その後の松坂大輔は、
記憶にも記録にも残る結果を残し、
鳴り物入りで高校卒業後すぐにプロ野球入り。
1年目から圧倒的な成績を残し、
日本代表やメジャーリーグでも優秀な結果を収めたことは有名です。

 

 

 

一方で、
小谷野栄一は決して華々しい野球人生ではありませんでした。

 

 

 

 

高校野球では一度だけ春に甲子園に出場するも初戦敗退。

大学時代も骨折で半年以上を棒に振りました。

 

プロ野球にはドラフト5位で日本ハムファイターズに入団。
一軍定着に向けて着々と実力をつけていく中で

「パニック障害」を発症

 

 

しばらく野球ができない状態が続きました。

 

 

 

 

プロ野球選手なのに野球ができない

 

 

この苦しみはいかほどでしょうか?

 

想像を絶します。

 

それでも小谷野栄一は、
監督、コーチ、チームメイト、スタッフ、ファンに支えられ、
「プロ野球選手」として復活を果たします。

 

 

 

その後は、優秀な成績を数多く残し、
常勝」北海道日本ハムファイターズの中心選手となります。

 

2009年、2012年のリーグ優勝時には
その歓喜の輪の中心には小谷野栄一がいました。

 

 

その後の小谷野栄一は
オリックスバファローズに移籍し
そこで16年間のプロ野球人生に幕を閉じました。

 

 

2019年現在は
東北楽天ゴールデンイーグルスでコーチを務めています。

 

 

 

圧倒的スターの元チームメイトとして
度重なるケガに悩まされて
「パニック障害」という先の見えない病気に未来を覆われて
小谷野栄一という男は
どうやってそこから立ち上がったのか。

 

 

 

彼の本を読んでその理由がわかりました。
彼には3つの大きな出会いがあったのです。

 

 

①岸雅司
彼は、小谷野栄一が所属していた、創価大学野球部の監督でした。

彼が小谷野栄一にかけた最初の言葉はこうでした。
「これから4年間、面倒見るから。人間的にしっかり成長させてやるからな」

 

小谷野栄一は彼から人間野球を教わった、と言います。

 

その「人間野球」を小谷野栄一が痛感したのは
大学3年時にケガをした後のことです。
小谷野栄一はケガで長期離脱を余儀なくされたことで心がすさんでいたそうです。

 

そんな時、岸監督は小谷野栄一にこう言います。
小谷野、お前は戦力としてはうちの野球部に必要だ。だが、人間としては必要ない

 

それを言われた小谷野栄一は
当初怒りと反発の気持ちで溢れていました。

しかし
いつの間にか
野球ができるありがたさ」に気づき
岸監督が指示した「野球日記」という毎日の心と行動の記録に心を注ぎます。

 

そこから小谷野栄一は「自分は周囲に支えられているのだ」と気づきました。
小谷野栄一の持ち味である「チームプレイ」の原点はここにありました。

コーチとなった今でも「野球日記」は書いているそうです。

 

②福良淳一
彼は、プロ野球選手 小谷野栄一の指導者でした。

 

 

パニック障害で苦しんでいる時に、二軍の監督代行として、小谷野栄一が立ち上がるきっかけを与えました。
北海道日本ハムファイターズから小谷野栄一が移籍を考えている時に、オリックスバファローズのコーチとして、小谷野栄一の移籍を迎え入れました。

 

いよいよ引退する時には
一軍監督として
小谷野栄一の様々な思いを受け止めました。

 

彼は
小谷野栄一の栄光も苦悩も間近で目にしてきたのです

 

引退の時に彼から直接「よくやったな」というメッセージを頂いた時の喜びは想像できません。

 

③ファンの少年
その少年は幼い頃に脳腫瘍を患い、とある縁をきっかけに小谷野栄一と出会います。

 

彼は誰よりも闘っていました。
手を動かす動作すら難しいのに小谷野栄一の手にタッチをしたのです。
ひとことも言葉を発しなかったのに、小谷野栄一がホームランを打つと約束をすると
「うぉー」
と声を上げたのです。

 

 

彼との出会いによって
小谷野栄一は
「パニック障害」という自分自身の病気すら「個性」だと捉えられるようになりました。

 

 

その後も交流は続き
小谷野栄一の活躍がその少年に力を与え
その少年が病気や辛い治療に立ち向かう姿が小谷野栄一に力を与えました。

 

小谷野栄一がプロ入りした年に生まれたその少年は
小谷野栄一が引退した直後にこの世を去りました。

 

小谷野栄一という野球選手の人生には
病と立ち向かう力強い少年の存在があったのです。

 

 

 

 

 

小谷野栄一は今
コーチとして第2の人生をスタートさせています。
小谷野栄一は今でも
目の前にある課題を1つ1つクリアしながら誰かのために生きています。

 

 

 

彼のモットーは自分らしくだそうです。

 

 

日頃生きていく中で
他人との比較や妬みなどの気持ちが渦巻くことは誰しもあります。
病気やトラブルで先が見えないこともあるかも知れません。

 

 

そんな時は
「自分にできることをしよう!」
小谷野栄一の「自分らしく」を思い出そうと思います。

 

 

 

そして、
「誰かの支えがあって自分は生きているのだ」という感謝の気持ちも忘れないようにします。

 

 

 

「ありがとう!」という感謝の気持ちを持って「自分らしく」生きる。

そうすれば必ず誰かが見ていてくれる。

「自分らしい」自分を承認してくれる人が現れる。

 

 

 

「小谷野栄一」という男。
その生き様は人生で大切なメッセージを残し続けています。

 

 

参考
小谷野栄一(2010) 『心で勝つ 技で勝つ』潮出版社
小谷野栄一(2019) 『自分らしく パニック障害と共に生きる』潮出版社

 

 

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堀内 能之ほりうち たかゆき

講演家・セミナー講師。医師。
長崎県内の私立高校卒業後、国公立大医学部に現役合格。
学生時代、家庭教師アルバイトの他、高校陸上部コーチのボランティアを2年間行う。
医師国家試験に合格後、大学病院で勤務するも、講演家・セミナー講師を目指し、退職。

2015年3月
医師免許
2017年10月
JAPAN MENSA 会員
   
2020年3月
2級ファイナンシャル・プランニング技能士

  • 2019年1月 独立起業し、Holy Smile Instruction設立
  •  
  • 2019年1月 『感染症最新の治療2019-2021』(南江堂)一部執筆
  •  
  • 2019年3月 『臨床呼吸器感染症学』(南江堂)一部執筆
  •  
  • 2019年5月 日本パブリック・スピーキング協会「話し方の学校」を卒業

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